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ECHOBASE(エコーベース)イベントレポート

  • 執筆者の写真: Shinichi Saeki
    Shinichi Saeki
  • 10月10日
  • 読了時間: 3分

更新日:11月13日

日常と非日常を行き来する。この円環を作ることが、多くの現代人が求める充実やインスピレーションを得るための一つの方法と言えるだろう。


その代表例に思われる、平日はビジネス、週末はキャンプ、温泉、リゾートでバカンス、こうした生活スタイルは、私が考える円環のあり方とは違う。


必ずしもそうとは言わないが、週末の非日常をビジネスのための癒し、休息と捉える限りは、理想的な円環にはならないだろう。週末の非日常がビジネスの補完的な役割となってしまうためである。(ちなみにここでは認識の話をしている。ビジネスのために体を休めることも重要。)


それでは、私が考える円環のあり方とは?


その答えが、高尾山の麓で我々が開催したイベント、ECHOBASE(エコーベース)にあると思う。(おそらく各地で開催されているRAVEイベントにも共通するであろう。)


ECHOBASE(エコーベース)高尾山 レイブ
Photo by SHO ITO.

癒しだけではなく、氣の収束、爆発、解放、そういったパワーが円環を作る上で重要だ。イメージとしては、各地で見られる祭りが持っているような日常と非日常の関係性が近いように思える。


日本を代表する芸術家、岡本太郎氏は「対極主義」を掲げ、以下のように述べている。


「芸術は爆発だ。」


『善と悪』『理性と感情』『伝統と革新』『生と死』といった、相反する両方を肯定的に抱え込み、ぶつけ合い、ぎりぎりの緊張状態を保つこと。とてもパワフルだ。生命力に溢れている。


そして、このように説明してしまうと、ある種のメソドロジー(方法論)のようにも捉えられてしまうわけだが、こうしたパワフルな日常と非日常のぶつかり合いから生じる円環は、決して同じ軌道をたどることはない。


ECHOBASE(エコーベース)高尾山 レイブ

Photo by SHO ITO.


日本を代表する仏教哲学者である鈴木大拙氏はその著作の中で、こうした円環のあり方について以下のように述べている。


二でも三でも百でも万でも、この世における有限の事と物とは、いずれも円融無碍的に参差し、錯綜する。二分性は決して絶対的でない。いつも自分を否定して、そうして自分に還ってくる。一はそのままで一でなく、二はそのままで二ではない。一に促して二であり、二に即して一である。これが不二法界の世界である。東洋的なるものは、いつも、ここから出てきて、また帰ってゆく。往還二相の回向は、至る所に時事刻々に見られる。往って還らぬ直線ではない、循環端なき円環、一円相である。二は畢竟じて平行線ではなくて、不二の円である。そしてこの円には周辺がない。無限大の円である。仏教ではこの無限大の円を空という。


つまり、諸行無常。一度として同じ瞬間はやってこない。そこから得られるパワーや癒し、インスピレーションは一度限りだ。


ECHOBASE(エコーベース)高尾山 レイブ
Photo by SHO ITO.

これを理屈ではなく体験できるのが、ECHOBASE(エコーベース)である。休日に山の中で大きな音でダンスミュージックを浴びながら踊る、食べる、呑む、花火をする。そんな行為をする理由には、こうした秘訣があるのだ。


一見すると逆のことのように思えるが、癒しやインスピレーションを求める現代人には、ぜひ参加してもらいたいイベントである。


次回はまた来年、2026年5月23日(土)-24日(日)開催予定。

Next Party Sat. May 23, 2026!! Stay tuned!!


ECHOBASE(エコーベース)高尾山 レイブ
Designed by Masaya Abumi

Text & Edit_Shinichi Saeki

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