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減価する貨幣

20年前に出会い、可能性を感じ続けている減価貨幣についての論考をDugup? に公開します。本稿は、およそ10年前に勉強会向けに準備したものです。ニュース記事や書籍の一部を抜粋し、自分のコメントを追加してまとめました。



皆様ご存知の通り、経済格差の拡大、気候変動、資本の政治的影響力など、成熟した現在の資本主義システムはさまざまな問題を孕んでいます。(その問題については、2023年公開のPodcast番組「a scope 〜資本主義の未来編」で貴重なお話が聞けるので気になった方は是非参考にしてみてください。)減価貨幣は、様々ある資本主義の問題に対しての処方箋の一つとなると自分は考えています。

2024年現在、インターネット、スマートホンの普及、ブロックチェーン技術の実用化に後押しされ、さまざまな地域通貨が世界中で実装されています。その中には、減価貨幣が採用されているものもあります(日本国内だと共感コミュニティ通貨 eumo(ë)など)。これらの試みは、当然さまざまな失敗の上に成り立つでしょうし、初期段階の小さな一歩をみて首を傾げる人も多いと思われます。が、これらの試みはこれまでの市場とは異なる構造で動く、オルタナティブかつ多様なローカル市場を誕生させ、一般市民の糧になると私は信じております。

減価貨幣とは何ものか?、まだご存知ないという方は割と長文ですが是非ご覧ください。(※繰り返しになりますが、10年前にまとめたものですので、紹介事例が古いのはご容赦いただけますと幸いです。)


まず最初に、お話させて頂くのは、世界で起きた大規模な環境破壊についてです。まず、こちらの映像をご覧下さい。


東日本大震災をきっかけにおきた、福島第一原発の事故です。福島第一原発は、ご承知の通りチェルノブイリ事故に匹敵する、最も深刻と言われるレベル7の事態に陥りました。津波に襲われ、冷却機能を失い爆発する様子を、私は自宅マンションで見ていました。大変な衝撃を受けたのを憶えています。放射能汚染は、最低でも数百年という長期間にわたって、あらゆる生命の健康に被害をを及ぼすといわれております。福島第一原発の事故は、これまでの自然災害と異なる性質をもったものと言えます。復興しようにも長期間にわたって手をつけることができない、いわゆる取り返しのつかない環境破壊といえるのではないでしょうか。


このように、取り返しがつかない事態を招くであろう環境破壊は、他にも起きています。まず、その一つが、2010年に発生したメキシコ湾の原油流出事故です。イギリスの石油会社BPが所有する採掘施設で爆発が発生し、この事故で大量の原油が87日間にわたって流出し続けました。



原油流出を食い止めるために、原油の出口部分に300万リットルの分散剤を直接注ぎ込んだり、廃タイヤやゴルフボールをなど穴に詰める”ジャンクショット”と呼ばれる異例の方法等がとられました。この事故は、もし仮に原油流出が止まらなかった場合、おおよそ2~3年で原油が地球の表面を全て覆うのではないか言われていました。今回、原油の流出は止まりましたが、止めることができなかったかもしれないという可能性を含んでいました。事故後、流出した原油が生態系にどのように吸収されたのか、多くの研究者によって調査が進められています。


こうした事態にもかかわらず、流出事故を起こしたBP社の最高経営責任者トニー・ヘイワードは、こう言いました。


「メキシコ湾は広大だ。海全体の量に比べれば、流出した石油と分散剤の量など微々たるものだ」


原発事故でも言われていた「直ちに健康に影響はない」「海に漏れでた汚染水は、分散するので大きな影響はない」といったコメントと同じです。企業の意見の多くは楽観的です。企業の論理としては、生命の健康や自然環境に対する甚大な被害がでるデメリットを含んでいたとしても、開発を優先して進めます。


続いてご紹介するのは、カナダで開発がすすむオイルサンドです。こちらは事故ではありません。オイルサンドは今年アメリカが輸入する石油量で一位になると見込まれている資源です。このオイルサンドは、原子力や油田の開発よりも、現在の経済活動の無謀さと私たちの進む方向について説明してくれています。オイルサンドは、カナダの雄大な北方林の下に眠っています。オイルサンドは液体ではないため、穴を掘って汲み上げることはできません。オイルサンドの油は、砂に混じっている個体です。その為、油を採るためにはまず木を切り倒さなければなりません。それから表土を剥がして油を含んだ砂にたどりつきます。

これには大量の水が必要です。使用済みの水は巨大で有毒な池に注ぎこまれます。この汚染水は下流に住む先住民にとって非常に厄介な問題となっています。こちらの写真を見ただけでは、この事業の規模が把握し難いのですが、この開発は、宇宙からでも見えます。

このオイルサンドの開発方法は、穴を掘って取り出すという石油の掘削ではなく、地球の表面を剥がして採取するという行為です。広大で鮮やかな風景は、やがてぼろぼろに破壊され色彩のない灰色の表土だけが残されています。


この開発もまた、取り返しのつかない自然環境の破壊と言えるではないでしょうか。

少し長くなってきましたが、最後にもうひとつ、最近日本でも注目されているシェールガスについて紹介します。シェールガスとは、 世界的に多くの埋蔵量が確認されており、その量は、約400年はもつと言われています。従来の天然ガスは、60年しかもたないと言われていた為、日本をはじめ各国の商社が期待をしている商品です。私たちは、このシェールガスのおかげで、エネルギー問題を先送りすることができると考えられています。


ところが、このシェールガスの開発もまた、危うい環境破壊の要素を含んでいます。今まで以上に深く固い地層を水圧粉砕して、ガスを取り出すのですが、オイルサンドと同様に大量の水が必要となります。非常に固い地層を水圧粉砕する為に特殊な化学薬品を水に混ぜて使用します。この科学薬品による水質汚染が問題視されています。採掘がすすでいるアメリカの一部の地域では、既に飲料水から高濃度の発ガン性物質が検出されていると言われています。(ブルガリア、フランスでは、水圧粉砕によるシェールガスの開発は禁止されています。)


世界的に、取り返しのつかないであろう環境破壊がすすんでいます。

ここで私が言いたいのは、


私たちの住む場所を、なくしてしまいかねない、破滅的な開発をなぜ行うのか?


ということです。

長期的な環境に対する予防措置は実現せず、短期的な開発が優先されています。だれしもが安全で安心して暮らせる社会を望んでいるはずが、実際はそうではない方向に進んでいます。

この問題について、ドイツの建築家マルグリット・ケネディさんは、その著書、「金利ともインフレとも無縁なお金」の中で

永遠につづく経済成長

を原因として指摘しています。

この一文は、いま以上に豊かになるという印象ですが、マルグリット・ケネディさんは、利子が利子を生む現在の金融システムが、戦争や自然災害よりも、多くの死と貧困の問題を生み出していると言っています。マルグリット・ケネディさんは、現在の金融システムの矛盾を2つ図表を使って述べています。

曲線Aは、自然界の成長行動を単純化した形で示しています。私たちの体が、20才前後をピークに身長の伸びが止まるような形です。やがて死に向って下降していきます。

曲線Bは、直線的成長を示しています。こうした単純な直線で成長していったとしても、 地球の大きさは変わらないので、成長し続ければ、いずれは、限界がやってきます。

重要なのは、指数的に倍増する曲線Cです。この曲線は、最初の曲線Aの対局をなすものです。指数的な成長を示す曲線Cは最初非常にゆっくりと経過し、やがて着実に増加して最後はほとんど垂直な傾きの量的増加に移行します。 利子が利子を生む複利と言うものは、まさにこの指数的な成長を示すものです。 

このように経済規模がネズミ算式に増えると、おそよ2世代後に、経済的な破滅か、地球環境の崩壊に突き当たると言われています。これは根本的で直近の問題といえるのではないでしょうか。余談ですが、自然界においては、こうした成長曲線は通常、病気や死に関わるところで見られます。例えば癌です。

次の図です。例えば年5%の経済成長を続けた場合、15年で経済規模が2倍、30年後の子供の世代には4倍、孫の世代には16倍、ひ孫の世代には64倍、そして5世代後のひ孫の孫の世代である150年後には、千倍以上まで経済が成長しなくてはいけない計算になります。このように現在の経済成長には、無理がある、いうことがお分かりになるかと思います。 

 ただし、私たちはその現実にたいして、それほど深刻ではありません。150年後には地球を飛び出し、宇宙開拓をしているという楽観的なストーリーを受け入れがちです。人間の科学技術の進歩がどんな問題をも克服してくれるはずだと心のどこかで期待しています。しかしながら、地球資源の限界までわずか数十年の計算です。科学技術の進歩に期待するよりも、現在の金融システムを見直し、方向転換を図るべきではないでしょうか。

 

次に、利子が利子を生む金融システムの危うさを、具体的な例でお話しさせていただきたいと思います。ある湖の湖畔の人々の話しです。そこに住む人々は、紙幣がその地方に導入されるまではよい生活を送っていました。日により漁の成果は違うものの、魚を採り、自宅や近所の人々の食卓に提供していました。毎日売れるだけの量を採っていたのです。

それが今日では、湖のいわば最後の一匹まで採りつくされてしまいました。どうしてそうなったかというと、ある日紙幣が導入されたからです。それと一緒に銀行のローンもやってきて、漁師たちは、ローンでおおきな船を買い、さらに効果が高い漁法を採用しました。冷蔵庫が建てられ、採った魚はもっと遠くまで運搬できるようになりました。その為に対岸の漁師達も競って、よりおおきな船を買い、さら効果が高い漁法を使い、魚を早く、たくさん採ることに努めたのです。ローンを利子付で返すだけでも、そうせざるを得ませんでした。その為、今日では湖に魚がいなくなりました。競争に勝つ為には、相手より、より早く、より多くの魚を採らなくてはなりません。しかし、湖は誰のものでもありませんから、魚が一匹もいなくなっても、責任を感じることはありませんでした。漁師達は、利子によって強制的に必要以上に働かざるをえない状況になっていたのです。

つづいて、この問題の一つの解決作として、「減価する貨幣」についてお話をさせていただきます。「減価する貨幣」を提唱したのは、 シルビオ・ゲゼルという思想家です。

Silvio Gesell, 1862 - 1930

余談ですが、経済学者のケインズはゲゼルを次のように評価しています。

「シルビオ・ゲゼルは不当にも誤解されている。我々は将来の人々がマルクスの思想より、ゲゼルの思想からいっそう多くのものを学ぶだろうと考えている」

ゲゼルは、その主要著作「自然的経済秩序」の中で

『お金は老化しなければならない』

というテーゼを述べています。

お金で買ったものは、ジャガイモにせよ、靴にせよ消費されます。ジャガイモは食べられ、靴は履きつぶされます。しかし、その購入につかった"お金"はなくなりません。そこでは、

「モノとしてのお金と消費物資とのあいだで不当競争が行われている」

とゲゼルは言っています。

現在の金融システムでは、商品を持っている人間と、お金を持っている人間とでは、お金を持っている人間の方が有利です。お金はそもそも、人間同士の間で商品やサービスを交換する手段として存在するものです。にも関わらず、ジャガイモは売らないと腐ってしまいますが、お金は腐りません。この矛盾点からゲゼルは、「減価する貨幣」を考えたのです。

このゲゼルの「減価する貨幣」を実践し、成功した例があります。1929年の世界大恐慌後のオーストリアのヴェルグルという町です。

町は負債を抱え込み、失業者も多い状態でした。そこでヴェルグルの町長は現行の貨幣の他に、「減価する貨幣」のシステムを導入しました。このシステムは、簡単にいえば一ヶ月ごとに1%ずつ貨幣価値が減少するという仕組みでした。

「減価する貨幣」は持っていても増えないばかりか、減るので、皆がすぐに使いました。つまり、貯めることなく、経済の輪の中に戻したのです。お金は、持ち主を変えれば変える程、購買力は大きくなります。1万円が3人の輪の中で1周するすれば3万円の価値、2周すれば6万円の価値になります。当時のヴェルグルでは、2年後には失業者の姿が消えたと言います。お金を借りても利子を払う必要がないので、皆がお金を借りて仕事を始めたのです。町の負債もなくなりましたが、オーストラリア国家が介入し、この「減価する貨幣」は、やがて禁止されました。このお金は時間とともに目減りするので、誰も受け取らないだろうと最初は思われましたが、皆が喜んで受け取りました。ヴェルグルの例から、「減価する貨幣」の効果についてまとめます。まず、需要の規則化です。減価するお金の場合は、できるだけ早く使ってしまう必要に迫られます。これによって、現金がタンス預金されることなく流通し続けます。お金が流通し続けるようになると、当然のことながら景気停滞がなくなります。これにより経済危機のない社会をつくることができます。そして、「減価する貨幣」が流通するようになると、お金の借り手と貸し手の立場も逆転します。100万円をタンス預金にして毎年1%、1万円づつ価値が減るぐらいであれば、金利なしでもよいから、とにかくお金を借りてくれる人に貸し出す人が続出するでしょう。このように資本金利がなくなり、お金を貸し付けては、金利を取り立てて生活していた資本家がいなくなります。利子が利子を生む現在の金融システムとはまったく逆のシステムです。

 このゲゼルの「減価する貨幣」の思想は、世界各地で実践されています。代表例として、地域通貨であるイサカアワーやLETS、ドイツのキームカヴァー、スイスのヴィア銀行などが上げられます。

 これらの試みは、どれも補完通貨という形で、導入されており、現行の法定通貨と共存しています。補完通貨という考え方は、「マネー崩壊」の著者ベルナルドリエターさんが提唱しています。現在の法定通貨は競争や富の集中などを促進する「陽の通貨」であるとし、陽の通貨では達成しにくいNPOやNGOに代表される社会的事業への投資の形成などには「陰の通貨」を利用することが大切である、と言っています。

また、リエターさんは「陽の通貨」である、現行の法定通貨も私たちの経済にはかかせないものだと言っています。競争は確かにマイナスの側面もありますが、技術革新や効率化などを促し、私たちの生活水準の向上に役立っている側面もあります。ですので、いまの法定通貨による陽的な経済の役割や意義を認めた上で、それとは別様の陰的な経済も同時並行で推進してゆくことを提案しています。すなわち陽の原理が強すぎるいまの社会で陰の原理を入れることで、バランスのとれた社会を作ってゆこうというのが、リエターさんの提案です。リエターさんのいう、陰と陽といったところは東洋哲学の考え方であり、アジア人の私たちにはとっては受け入れ易いものではないでしょうか。ヴェウグルの「減価する貨幣」は、スタンプを押さないと使えないという面倒なものでしたが、スマートフォンデバイスをベースにもっと便利なシステムを開発することは容易だと思います。例えば東北の地で、EZO(蝦夷)という地域通貨をつくって流通させることで、東北が独自の経済圏を持ち、震災の復興とともに新しい形態のコミュニティーやビジネスが生まれ、世界でも稀に見るような発展をしていったら面白いなと思います。「減価する貨幣」の思想は、現在の私たちの社会が向っている破滅への方向性を軌道修正することができる可能性を秘めていると私は感じています。

能の大家、世阿弥は次のように言い残しています。

「究めつくせば、人間社会のすべての営みは、ことごとく生命を豊かにすることを目的としているものだ。」

私たちの営みを、生命を豊かにする方向にむける努力をしなければなりません。

参考文献:

 エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」

 シルビオ・ゲゼル入門―減価する貨幣とは何か

 花伝書(風姿花伝)

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