行きつけの喫茶店「ミロンガ ヌオーバ」
- 2025年11月21日
- 読了時間: 4分

最近の行きつけのお店は、神保町の喫茶店「ミロンガ ヌオーバ」。 お店の歴史や文化的背景については他にも語られている記事が多いので、Dugup?では少し違う角度からこのお店の魅力について書いてみたい。
最初に行きつけになった理由は単純で、カウンター席に電源があり、PC作業ができたからだ。
ただ、気づけばそれだけでは足りない何かがあった。
その何かを一言でいえば、
「ツルッとじゃなく、ザラっとしているところ」
である。
利便性や合理性、効率の良さ、その純度を追求していくと、無駄が削ぎ落とされてツルッとしていく。
洗練された工業製品の持つ美しさのようなものである。とはいえ工業製品でさえ、例えば研磨も塗装も職人の手が入っているため、「完全なツルッと」ではなく「限りなくツルッとに近いツルッと」だ。(※ツルッとは讃岐うどんや、つきたてのお餅のような質感や肌触りの話ではないのでご注意ください)
一方で、デジタルプロダクトやサービスはどうか?
完全なツルッとの極みのような存在だ。
利便性、合理性、効率性はもちろんのこと、エンタメ、ゲームなどの娯楽まで提供し、どんどん身の回り(といってもiPhoneとPCの画面内)に増えていっている。わたしもこのツルッとしたデジタルプロダクトやサービスは大好きで、特に2000〜2010年代は礼賛してきた。
ただ、近年は、この「ツルッと」との距離感が変わってきた。
便利なのに、飽きる。長く使っても、愛着が湧きにくい。なんか疲れる。
これは何故か?
むろんデジタルプロダクトやサービスも人が作ったものだ。
しかし、画面越しに見たり操作するため、その表皮たるインターフェースの部分にザラっとしたものを感じづらいのである。そのため、ユーザーインターフェースのデザインにザラっとした質感を載せるという試みがなされているわけだが、どうにもうまくいかない気がしている。
思うに、劣化しないというデジタルデータの特徴が、その原因の端緒ではないか?
デジタルデータは0,1の羅列であって、そこにザラっとした、例えば経年劣化したような質感のデザインを載せても、それは0,1の配列の組み替えに過ぎない。つまり朽ちるというプロセスがないのである。
昔から「朽ちる美しさ」とは、衰えや不完全なものの中に美を見出す感覚で、特に日本の「侘び寂び」の概念に深く根ざしていた。
もはや流行語のように扱われる「失われた30年」風にいえば、2000〜2010年代は「ザラっと感が薄らいできた20年」だったのではないか?
また、「アナログ vs デジタル」という議論がよくあるが、それを掘り下げると、実は物質 vs デジタルデータという構図なのではないかと思えてくる。
いささか飛躍し過ぎかもしれないが、物質が朽ちる先には死と似たようなものがあるが、デジタルデータにはそれがない。そこには、人が愛着を持てるか持てないかの大きな開きがあるように思えてならない。
と、だいぶ話が大きくなってしまったので、そろそろミロンガの話に戻る。
この店には、「ザラっとしたもの」が溢れている。
そして、そのザラっと感は、不思議と身体と心にフィットして、落ち着く。
まずは、店内に流れるレコード音源。盤面の溝を針が引っ掻きながら生む、あの音。
音源からスピーカーまで、途中にD↔︎A変換が入らない、これぞ「ザラっと感」の正統派だ。

店頭に積まれたマッチ箱の数々。
指で触れただけでわかる、紙の質感と経年変化。

古びたテーブル、椅子、照明。煉瓦づくりの壁面。
無数の傷と染みが、長い時間をそのまま宿している。


ミロンガ ヌオーバは、ツルッとしていない。
だからこそ、居心地がいい。

ここには、削ぎ落とせない時間と気配がある。
そのザラっとした空気に触れたくて、また足が向いてしまうのだ。
諸行無常。
コーヒーとケーキが美味しいのはいうまでもない。
Text & Edit_Shinichi Saeki
Shop info
ミロンガ ヌォーバ 昭和28年創業のタンゴ喫茶
炭火焙煎珈琲、世界のビール
アルゼンチンタンゴをLPでかけている
営業時間
平日 11:30〜22:30(L.O. 22:00)
土日祝 11:30〜19:00(L.O. 18:30)
(水曜定休)
住所:東京都千代田区神田神保町1-3-3


